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ヴォルテッラ
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ヴォルテッラ

 「とある高い丘の1番高い所にある町」とスタンダールがかつて記したように、ヴォルテッラの町はエーラの谷とチェチェナの谷に挟まれた大地にひときわ高くそびえ立っています。
 周辺はメタッリーフェレと呼ばれる丘陵地帯で、古代から岩塩や銅、鉛などの鉱物資源が豊富なことで知られ、ヴォルテッラの前身エトルリアの都市ヴェラトゥリは、この豊かな資源を背景に繁栄していたそうです。

■ヴォルテッラの行き方
 ヴォルテッラへのアクセスは、公共の交通機関を使おうと思ったらやや不便かもしれません。公共交通機関でのアクセスはバスに限られるからです。バスは、シエナもしくはサン・ジミニャーノからの乗車(SITA)が一般的なようです。ただ、それ程本数は多くないので運行時間に注意して下さい。
 車でのアクセスは比較的容易で、サン・ジミニャーノまで行けば後はそこから一本で行くことが出来ます。駐車場もちゃんとあるので、運転が出来る方はこちらの方がいいかもしれませんね。

■ヴォルテッラの見処
 こじんまりした町ですが、13〜14世紀の間に建てられた建造物は中世の姿を呈していて、誇り高いコムネを彷彿させるようです。そんなヴォルテッラの見処を、ちょっと紹介してみたいと思います。

プリオリ広場周辺
 ヴォルテッラは12世紀末に自治都市として独立し、この頃に現在の町の基礎的なかたちが出来上がったのです。町の中心であるプリオーリ広場(Piazza dei Priori)は、9世紀末まで大きな市の立つ場所だったそうなのですが、そのうちに周囲に塔が建ち並び、一角には樫の木が植えられ、町の参事や長老たちが政治の相談に集まる場所となっていったのです。広場で一番、目を引かれるのは、現在市庁舎として使用されているプリオリ宮(Palazzo dei Priori)です。この宮殿の下部壁面には、15〜16世紀のフィレンツェの代官たちの彩色テラコッタの紋章が飾られています。これは「ヴォルテッラの戦い」によって、略奪と殺戮のあげく全ての自治権を奪われてしまった後の、フィレンツェの統治を思わせるものとして今に残っています。
 プリオリ宮の裏手には、ドゥオモ洗礼堂があります。そしてこの洗礼堂の中には、ヴォルテッラの特産であるアラバスターを加工して作った、キリスト生誕の人形が飾ってあるので是非見てみたいものです。

ブオンパレンティの塔状住宅
 旧市街の中世の面影が色濃く残っているいかにもヴォルテッラらしい地区に、ブオンパレンティの四つ角があります。ここは13世紀の典型的な塔状住宅が建ち並んでいて、その中でも最も高いところが、この四つ角の名前にもなっているブオンパレンティの塔状住宅(Casa-Torre di Buomparenti)です。これは13世紀の建造物で、別の塔と陸橋でつながっています。

ローマ劇場
 町の北側、城壁の外にローマ劇場があります。この劇場が建てられたのは、紀元5〜20年頃のアウグストゥス帝の時代にさかのぼります。現在は、劇場入口の階段部も含めた観客席の大部分と舞台、後に備え付けられた浴場施設の柱廊の一角を見ることが出来ます。

バルツェ
 ヴォルテッラの西側の門、サン・フランチェスコ門を出て北西に2km行くと、ヴォルテッラ周辺の町バルツェ(Balze)につきます。ここは砂地の層と泥炭質の粘土質からなる土壌が、広範囲に渡り地滑りしたために出来たいくつもの地溝からなる、広大で印象的な切り立った谷になっています。この浸食のスピードは緩やかなのですが、もはやくい止めることが出来ない不断な流れとなっており、既にエトルリア時代の地下墳墓や様々な建築物や教会を飲み込んでしまっているそうです。
 正面には1030年に建てられたカマードリ会の僧院がありますが、ここはこれまでに一度ならず崩壊しては再建されてきたそうなのですが、現在では周囲の土地の崩壊の危機が高まり、ついには放棄され、人気のない廃屋となってしまっています。

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